プロフィールをご覧いただき、有難うございます!
「About」ページでも少し触れていますが、このサイトは、オリジナルや版権イラストや漫画中心ではありますが、私自身いろんな事に興味がありますので、それに限らず雑多な内容になるかと思います。
出来る限り、サイトを訪れた方が少しでも楽しめるような、何度でも訪れたくなるような、そんなサイトにしたいと思っています。
このプロフィールはとても長いです。1万字近くあります。
私の好きな事柄や、学生時代と現在進行系の社会人時代の事と併せて、その時々の絵の履歴などの紹介です。
無気力時代の学生時代やら、借金にまみれた社会人時代など黒歴史も…。
こんな底辺で這いずっていた過去がある私でも、ちゃんと生きていますよ!という事で、しくじり先生ほどではないけれど、もしかしたらあなたの参考になることもあるかもしれませんので、よろしければご覧いただけたらと思います。
風水こゆうのプロフィール
PN 風水こゆう
同人活動をしているメインジャンルはFINAL FANTASYⅧで、グッズはFF8の他に大神・刀剣乱舞・オリジナルなどで作成しています。
サークル名 D-maker
毎年、夏と冬のコミケに受かれば参加しています。
職業
しがない販売員です。
好きな物
無類の龍・幻想動物・獣・化け物好き。
趣味
多趣味過ぎて大変!お絵かき・映画鑑賞・ゲーム・熱帯魚飼育・フィギュアや風水動物の置物集め。
ハンドメイド(予定)
基本、物作りが好きなんです。料理も下手だけど、物作りと一緒なので作るのは好きです。
ハンドメイドに関しては、今後桜と星をモチーフにした幻想動物や龍などの立体物を作っていけたらと粘土やレジンなどの道具集め段階です。
血液型
AB型なので変わっているとよく言われ、自分でもそう思います。
誕生日
西暦は内緒(ごめんなさい)1月16日、冬生まれだからか、夏の暑さにめっぽう弱い。2019年にようやくクーラーを買って電気代に怯えながら、節約使用をしつつ文明の利器に感動です。
好きなお菓子
コーラのラムネはダントツ♪コーラ味のグミも。子供なの?という好みですが、いかんせんいい年になった今でもこの好みは不思議と変わりません。
嫌いな食べ物
茄子・片栗粉のどろどろした食べ物。食感がどうにも苦手。でも何故か納豆は大丈夫なんですよね…。
好きな観葉植物
ドラセナ・ポトス・パキラ・ガジュマル・サンスベリア。
いずれも緑が素敵、鑑賞だけではなくて、当たり前のように部屋にあって、ふと目に入るだけでも癒やされます。
ドラセナは好きでも家に合わないのか、必ず購入した冬にはだめになります。
ポトスは水槽とのコンボで挿し芽でじゃんじゃん増えていて、もう水槽からジャングル状態よw
好きな熱帯魚
自家繁殖で育てた子達の写真です(こんなのしか残っていないなんて…)
ベタのプラガットタイプ。
ペットショップで売られている一般的な子じゃなくて、尾ひれの短い子の事。
ベタの飼育は、ホームセンターで一般的な尾ひれの子(トラディショナル)を飼ったのが始まり。
その後に、とても状態のいいお魚を売っているお気に入りのお魚専門店を見つけて通っているうち、劇的な出会いをしました。
メタリック系のカラーのプラガットが売られていて一目惚れで即購入。それからはこの種類一筋です。
宝石のような色とりどりの子達…何匹いても、新しい子に出会うと欲しくなるのですが、なにせ闘魚だもんで、単体飼いが鉄則なのでスペース確保が難しいところ。
もちろん熱帯魚なので、冬はヒーター必須ですし。
繁殖は良いペアが手に入れば試みています。
彼らの後尾はとても情熱的、一見の価値ありです!
産卵、孵化までこじつけたら、その後は自分でお世話をしないとほぼ全滅しますので、自分でプランクトン沸かしてスポイトでせっせとご飯をあげます。
稚魚の世話は大変だけど、とても楽しいです。
現在は飼育しておりませんが、気に入った子がいたらお迎えするつもりです。
通っていた熱帯魚屋さんが縮小してしまってからは、もっぱらの入手方法はオークションなのですが、最近入札日に予定が合わなかったり、価格高騰していたりとなかなかお迎えできずにいます。
ベタの事については、またお迎えできたら順次記事にしていきたいと思います。
現在飼育している熱帯魚は「レトロピンニス」です。
「レトロピンニス」というのは熱帯魚の古代魚のポリプテルスという種類のうちのひとつの品種。
ポリプテルスの姿は龍みたいでとても格好良くもあり、とても可愛くもあります。
いろんなポリプを飼いたいけれど、かなり大きくなる品種なので飼育には注意が必要。
私が飼育しているレトロピンニスは大きくなっても30cmくらいにしかりませんので、この子は90cm水槽でも安心。
現在90cm水槽で20cmサイズが2匹 13cmサイズが1匹ぽよぽよ泳いでいます。
このレトロピンニス、実は名前が何度も変わってて現在はモケレンベンベと呼ばれていると思いますが、私の中ではもうレトロピンニスで固定しているので、このまま記します。
環境によりますが、成長すると頭が深いグリーン色になってくるので、今から楽しみです!
学生時代と絵の履歴
子供の頃からとにかく絵を描くのが好きでした。
幼稚園時代
幼稚園時代、自分の家で飼っていたインコがもっぱらのモチーフ。
これはもう記憶でしか残っていないのですが、その頃のお隣から水墨画チックなイラストをよくもらっていたんです。
私が直接もらったわけではなく、母親が頂いたものを私にくれたという状態でした。
小枝に止まった小鳥とか牛、私が動物が好きという事を母親が言っていたのか、動物のイラストが大半だったと記憶しています。
その中に龍もありました。
おそらくこれが「龍という想像上の生き物がいる」ということを知ったきっかけだと思います。
そのイラストが一番のお気に入りで、よく模写をしていました。
引っ越しをした時、多分処分されてしまったんだろうと思います。
小学校時代
小学校に入ると、水木しげるさんの妖怪大全集的な本に描かれていた龍を模写。
同時にゴジラとかの怪獣にも目覚めwゴジラの中ではキングギドラが一番好きなので、彼の事も描いていたと思います。
ウルトラマンシリーズの怪獣の方に肩入れして、テレビでいつも応援していたのですが最後にはいつも爆発して壮絶な最後を迎えていたので、毎回悲しい気持ちになっていたような…(その時は悪いことをする怪獣というより見てくれが好きだったというだけで応援していたはず…)お気に入りの怪獣はもちろんゴモラとレッドキング。
もう好きになるタイプが確固たるものになりつつありますかねw
そんなこんなで中学校になるまで書くと言えば龍や怪獣、そこら辺のノートに鉛筆書きの程度でした。
中学校時代
この頃のことはあまり記憶にないので、少し絵というものから離れていたんだろうと思います。
3歳の頃からピアノを習っていたのですが、その練習時間でもういっぱいいっぱいだったんじゃないかな。
得意にやりたいことも、なりたいものもなく、学校に行って帰ってテレビ見て一日が終わるの繰り返しでした。
1番無駄な時間を過ごした時代でもあると思います。もったいない!
高校時代
なんとなくな流れで入った高校で、たまたま同じクラスになった美人の頭の良い同級生が、漫画を描く方法を教えてくれました。
目からウロコとはこの事!
付けペンで描いて、トーンというものを貼る。
そこで少ないお小遣いをはたいて、まずはつけペン軸と、ペン先購入(ペン先は一番最初に買ったの、確かGペンだったような…)
トーンは高くて同時に買えなかったので、つけペンだけでしばらく描いていたと思います。
本当はペン先潰れたら細い線が描きにくくなるので、付け替えなくてはならないのですが、それも買い換えるお金がなかったので、潰れたままのペン先で描いてましたかね。
そうこうしているうちに、丸ペンの方が細い線が描けると、丸ペン軸とペン先を購入。
描き味がGペンより性に合ったので、それからはもう丸ペン一筋。
つけたての細い線を描けるうちは細かい目とか髪とかの線を描いて、ペン先が潰れてくると、体など太い線を描く…と使い分け。
この頃から獣や龍だけでなく、人物を書くように。
その漫画の描き方を教えてくれた同級生と(現在では一番の友人です)イラスト交換日記なるものをしていました。(このノートはエンピツ書きでしたが)
今はもう廃刊となっている投稿雑誌に投稿をするのがちょっとしたライフワーク。
当時のPNは好きな漫画のリカオンの名前(分かる人いるかな?)から頂いて、砂覇羅(サハラ)として投稿していました。
ぼちぼち載せてもらえていたので、投稿した翌々月は自分が投稿したイラストが載っているかどうか確認するのがささやかな楽しみでした。
そしてそんな中、当時はまっていた漫画「3×3EYES」可愛い女の子や妖怪チックなキャラがたくさん出てて、とある章まで好きな作品でありました。
投稿雑誌の中で同人誌の存在を知る。
まさか自分がここから今まで続ける事になろうとは当時思ってもみませんでしたが、これが同人誌と私との出会いw
当時の原稿も同人誌も残ってなくて(もしかしたら探せばあるかもしれませんが)今見たらそれこそ瞬殺で滅する代物だと思いますが、初めての同人誌「3×3EYES・B6サイズ」を高校時代に発行しました。
短大時代
これも行けるところでいいやと通った音楽短大(ちなみにピアノ専攻でした)
未だ将来の事についてやりたいこともなりたいものもなく、ただ単位を取るためだけで大学に通い、バイトに明け暮れていました。
趣味として絵は続けていて、短大時代の間では3×3EYES本1種+おまけ本として1種の、合計2種の同人誌を発行。
短大時代もなんとなく通って、なんとなく時間が過ぎていったというまたも無駄な時間を過ごしてしましました。
人見知りもするし、面倒なこときらいだし、何の取り柄もない自分に自身が持てないコンプレックスの塊でがっちがち。
もうどうして生きてるんだろう?と、しょっちゅう考えていました。
でも人と話す時は演技して、明るく接していたから悩みも何もないお気楽な人って思われていたんじゃないかな?
今でいう鬱と診断されてもおかしくない状態だったかもしれません。
社会人時代と絵の履歴
こんなだから就職活動も本気でせず、行けるところでいいやという考えで就職しました。
ただ、自分で言うのもなんですが、面倒くさがりでも真面目な性格なので仕事はいい加減にした事はないです。
どうでもいいやと言いつつも、すべき事はやっておりますのであしからず。
社会人1年生
社会人1年目、新聞社の下請け会社に就職しました。
毎月発行される月間フリー誌という感じの、地域の情報誌をメインで携わっていて、そのちょっとした挿絵を書いたりする仕事。
絵を仕事にできたら良いなと思って就職。
漫画でない色々なタッチや画風で描かなくてはならず、この点では色々ためになったと思います。
でもその職場、私以外に殆ど喋らない男性が一人で、週に3日ほど本社から社長とチーフが来てその仕事の手伝いをするみたいなルーティーンワークで、気まずさに耐えかねて見習いが終わる3ヶ月で辞めようと思うも、引き継ぎの人を雇って、その人の見習い期間が終わるまではいてほしいと言われ承諾。
そして3ヶ月後、蓋を開けてみればその後釜になる人が、見習い期間を伸ばされたので辞めますと先に辞めちゃってポカーン。
そういう訳で辞めれなくなって、1年もいる羽目に。
でもこの社長から言われた言葉
「人見知りなのは良いけど、社会でそれは通用せんで?自分、これから損するで?」
この言葉は、当たり前のこと言われてるだけですが、当時の私に奮起するだけのチカラがあったように思います。
第2の職場:近所の薬局に就職
第2の職場は自宅から徒歩4分ほどの薬局でした。
ここは個人経営でワンマン上司でしたが、それでも気に入ってもらえていたので色々条件良く働かせてもらえてました。
途中一旦辞めて再度就職しましたが、トータルで10年ほどは働いたと思います。
薬局時代はゲームが解禁となりましたので(自分の性格のせいで、親から社会人になるまでゲームは止められていた)初めてゲームを購入。
※新聞社の下請け時代は給料が安すぎて、娯楽物を買う余裕がなかったのです
購入したゲームはスーパーファミコンの本体と「す~ぱ~ぷよぷよ」とシリーズは忘れましたが「ストリートファイター」でした。
RPGゲームは、頭の悪い私には難しすぎてできないと思っていたんです。
そんなことないよ!絶対できるし、楽しいよー!こゆうならハマること間違いなし!と借りたゲームが聖剣伝説2とファイナルファンタジー4か5、ドラクエ5・貝獣物語等々、そうそうたるタイトル!
もちろんどっぷりハマりました!
それから召喚獣が出てくるFFシリーズをメインにいろいろなRPGゲームで遊ぶ事に。
文字通り寝る間を惜しんでゲーム三昧w
この頃漫画の投稿も何度かしました。
アンソロジー本で賞金で1万円もらう程度でしたが、そのうち担当さんが付いたんですよね。
スクエニのファンタジー雑誌を扱ってる部署の方でしたが、私がその方の思うように立ち回れなかったためか(もちろん画力とかストーリー作りにおいてなど理由はたくさんあったのでしょうが)1、2度漫画を選考の為に提出した後、音信不通になりました。
でも私の方にも絵を変えろとか…自分を否定されているようで抵抗はありましたし、若かったので、発言が生意気だったんじゃないかな…と反省する所もあります。
担当さんが付いた時点ではとても嬉しかったので、正直すごく落ち込みましたよ。
実はこの頃、電話で能力開発なんちゃらという商材で詐欺まがいなことにもあっていたので、母親にもまたあんたまた騙されて…なことも言われましたし。
あぁ…また自分は何やってもだめなんだなぁ~って。
こんな時でもささやかな趣味として、同人誌は発行していました。
「モンスターファーム」「万能文化猫娘」「FF7」ジャンルでほんの数冊。
第3の職場:パチンコ屋に就職
ちょっとした事で借りたお金が、騙されたりとかして膨らんで(自分の人生最大の黒歴史)大きな借金を抱えてしまいまして…自転車操業の生活に陥っていたんです。
ただただお人好しで無知で大馬鹿でした。
お給料のほぼ全てを使っても足りず、利息を返して新たに借りるといった状態ですから、じりじりと借金が増えていくというひどい有様で。
この生活ではもうダメだ!お金がないと人生が終わる!と思い、思い切って転職。
もうお金が目当ての転職でしたので、人からなんと思われようと親からなんと思われようと良いやと思い、がむしゃらに働きました。
パチンコ屋さんは給料が今までの薬局に比べると手取りで2倍近くあったので、2年で借金を返済することが出来ました。
収入のほぼ全てを借金の返済に当てて、苦しかったけれど借金の額がどんどん減っていくので気持ちはどんどん軽くなっていきました。
あぁ…これでやっと人並みの生活が出来る…って。
当たり前だけど、当時の私は本当に無知で馬鹿だったので、気軽に借りてしまったんですよ。
借金が膨らみ、自転車操業に陥って奮起して転職し、全てを返し終わるまでトータルで6年ほどかかりましたか。
本当に辛かった…。6年も人生を無駄にしてしまいました。
時は金なりです、もう無駄にした時間は戻りません。
お金は気軽に借りちゃだめ、それがたとえ少額であっても。
借金からの開放
パチンコ屋も手を患って(手根管症候群)一度退社しましたが、人手が足りなくなった時に戻って来ない?と連絡いただいて、その時点で手の調子がだいぶ改善していたので、体力と手の調子がいい間だけ…と再度戻りましてトータル7年半ほど働きました。
この頃の同僚ちゃんから、地元の友人家会長をしているとある投稿サークルに誘われて、手を患ってからあまり描けなくなっていた絵を再び描くようになりました。
「FF8」数冊と、その同僚ちゃんとで「テイルズオブジアビス」の合同本3冊発行しています。
どんなに辛い時でも、イラストや漫画を描くことは自分の活力となり、ささやかな楽しみでした。
何の取り柄もないけれど、絵を描くことだけはやっててよかったと思える唯一のことですね。
借金を返し終えて貯金もできたので、やっと自分の欲しいと思っていたパソコンを購入する事ができました。
こうして2009年4月から絵をデジタルで描く様になりましたが、今までパソコンなど触ったこともなく、何もかもが初めてで、書き方本何冊も購入しては毎日少しづつ触る、という感じでたかね…。
上のイラストはデジタルで描いたイラストをpixivに初めて投稿したもの(大神というゲームのファンアート)
もうデジタルで描くようになって10年は経つんですね…早いなぁ…。
現在はアナログ漫画をComicStudioEXで、カラーをCLIP STUDIOで描いています。
漫画もそろそろCLIP STUDIOで描くようにしなくてはと現在修業中です。
得意なジャンルはファンタジーで龍や獣、女の子を描くのが好きです。
職場を点々とする
会社の形態が変わり給料据え置きで、出勤が4勤2休から5勤1休に変わったので、そろそろ体力に限界を感じパチンコ屋を退職。
借金もなくなって、特に贅沢したいこともなかったので、保険やら電話料金自宅に入れるお金等々払えて、友人と食事に行くとか少し遊べるお金があったらいいかな…とお金より時間優先で仕事を探すことに。
携帯ショップの社員(自分に合わないと1番思った職業でした、条件はものすごく良かったのですが、早々に見限り4日で辞めました)
スーパーのショップ(次の仕事が決まるまでの短期の気持ちで)
百貨店の茶屋(百貨店って色々変なルールがあって自分には合わないのと金銭トラブルなどがあり、1.5年ほどで退職)
前々から憧れていた漫画のアシスタントの仕事に就く
先にも述べましたが一時期、漫画家になれたらいいなぁ~と漠然と思っていたこともありました。そしてほんのいっときですが、担当さんも付いていた事もあります。
その時は若かったこともあり、絵を変えろなど色々と言われて、モチベーションが保てなくて、うやむやになってしまいました。
しかしその後、以前からやってみたかった漫画家さんのアシスタントを1年と半年という短い間ではございましたが、仕上げのお仕事で叶えることが出来ました。
その時にプロとしての厳しさ、ストーリーを進めていく中での編集さんとのやりとりで自分が思った方向性にはなかなか描かせてもらえないん等知りました。そうか…自分が若い時にあれこれ言われた事って、ごくごく当たり前だったんだなとか思い返したりも…。
このアシスタントのお仕事で、自分の未熟さを嫌というほど味わいました。とてもプロ意識の強い先生でしたので、絵を描く意識はかなり変わりました。
そういう意味で自分にとって非常に意味の有ることでした。
親身になって色々と教えてくれた先生でした。本当に初心者で右も左もわからない事だらけでしたが、根気よく教えてくださったこと、何より有意義な経験を与えてくれたことに感謝しかありません。
その後は仕上げのアシスタントのお仕事を探してみたのですが、意外に仕上げのみでの応募が少なかった為、普通に就職の道を選んだ訳です。
ですのでこの経験は同人活動という狭い中ではありますが、少しでもそれが生かせれていたら良いなと思っています
現在再び百貨店勤務
あれだけ懲り懲りに思っていた百貨店のとあるショップに、時給の高さにつられて入社。
入社とはいえ、ただの保険付きのパート扱いですが、人間関係が今までで1番良く、コミケに参加していることもカミングアウトしているので、夏冬と受かればきちんと休める最高の職場です。
ただ、コロナの影響で2020年5月バイト以下の収入です。年内いっぱいこの状態になるかもと会社から通達があって、もしその通りなら生活出来ないので、そろそろ次の職場を探さないと!と職探し中です。
転職を考えている方にちょっと一言
転職はたしかに新しい環境で新しい人達に関わって、仕事もまた一から覚えなくてはなりません。でも自分に合わない職業や、自分の苦手な人がいる職場で我慢することはないと思います。
転職は悪い事ではありません。逃げでもありません。
どうしてもその職場、ここじゃないと働きたくないというのであれば別ですが、若いうちなら尚更、転職してみて自分の天職(これは早々見つからないとは思いますが)もしくはベストなところに落ち着くのが一番かと。
コロナ渦中では次の職場がなかなか見つからないかもしれませんので、暫く我慢した方がベストかも知れませんので、様子をみて行動すべきかと思いますが、自分が壊れそうになるくらいならそこから離れるのは、他人から「逃げてるんじゃないの?」と言われようが気にすることはありません。
その発言した人が、精神面でも金銭面でもあなたを守ってくれますか?
自分を守れるのは、自分しかいません。
借金を返していた時期の私のように、何もかにも捨ててお金を1番に優先する。
お金は生活できるくらいあればいい、時間優先で仕事以外は好きなことをしたい。
お金を取るか時間をとるか、もう社会人になればこの2択しかない。
あ、結婚して家庭を持つなら、また話は変わってきますが、残念ながら私は家庭を作る道を選ばなかったので、ここは意見することは出来ません。
これは面倒くさがりで上を見ない、そこそこの生活が出来ればそれでいいという隠居じみた考えを持つ私個人の意見ですので、こんな最下層の人でも生きてけるんだ…。とあなたのモチベーションの参考になればと。
でも、ブランド物が欲しいとか、いい家に住んで美味しい食べ物を食べたい!(所詮私の思考ではこんな物)など生活水準を上げたいならば、資格をとってスキルを身に着けたほうが良いです。
心の支えだった絵を描くということ
借金を抱えていた時も、手を患っていた時も、頻度に違いはあれど絵を描くことは止めなかったので、こんな私でも細々とではありますが、ずっとFF8で同人活動を続けれています。
今はコミケに申し込んで受かれば遠征する、の繰り返しが楽しいです。
夏と冬、半期に一度東京に行って、イベント会場で元気をもらって活力にしている感じ。
イベント会場で知り合って、もう長いこと交流がある方達や、会場で毎回スペースに来てくれる方達、そしてそんな方達からの温かいお言葉、それだけで私は生きていけて、同人活動も続けていられます。
何分語彙力乏しく、どもり症&口下手なので、あぁああ…有難うございますっ!というだけで精一杯ですが、本当に言葉を失うくらい感激しているのです。
なので、このささやかな同人活動は体力と気力が続く限り続けていきますので、どうぞよしなに…。
と2020年の現在までの私の状況です。
今後について
今後はイラストや漫画のみならず、立体の方もやっていきたいと思っています。
大きなものでなく、ハンドメイドのアクセサリー的な小さなものを。
造形物も非常に好きなので、そちらの面でも興味津々なのであります。
今は材料集めをちょこちょこと。
自分にあったものがわからないので、レジンとか羊毛フェルトとかスカルプとかの粘土系とか色々と。
ガラスとかも意味なく好きで、ビーカーとか試験管とかも自宅部屋にたくさんありまして…。透明な物が単に好きなのかそこのところは自分でもよくわかっておりませんが、その関係?でハーバリウムも琴線に触れています。
という事で、最終手段の睡眠を削って作業しているのですが、そろそろ無理が効かなくなる年に突入しておりますので、無理なく楽しくをモットーに活動していきます!
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このような長いプロフィール、最後までお読みいただき、有難うございました!